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名古屋地方裁判所 昭和63年(ワ)3118号 判決 1992年11月26日

原告

西川理絵

右法定代理人親権者母

石田國枝

右訴訟代理人弁護士

田中清隆

右訴訟復代理人弁護士

辻本純成

被告

右代表者法務大臣

田原隆

右訴訟代理人弁護士

今枝孟

右指定代理人

佐々木知子

外三名

主文

一  被告は、原告に対し、金一三五〇万円及びこれに対する昭和六三年一〇月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を被告の負担とし、その余は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一億四七五〇万一三三六円及びこれに対する昭和六三年一〇月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第一項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者及び診療契約の締結)

(一) 原告は、昭和四八年四月二〇日生れの女性であり、訴外石田國枝(以下「國枝」という。)は、原告の母であり、親権者である。

(三) 被告は、名古屋大学医学部附属病院(以下「名大病院」という。)の設置者であり、訴外榊原健彦医師(以下「榊原医師」という。)は、同病院整形外科に勤務していた医師である。

(三) 原告は、昭和五九年九月二一日、名大病院整形外科に入院し、被告との間で、脊柱矯正についての診療を目的とする準委任契約を締結した。

2  (手術までの経緯)

(一) 名大病院入院までの経緯

原告は、昭和四九年六月に中部労災病院で脊柱側彎症と診断されたが、日常生活にさしたる支障もなかったことから経過観察を続けてきた。しかし、成長期にさしかかり、成長とともに症状の悪化も懸念されたため、昭和五六年八月三一日、名大病院整形外科で診察を受けた。

初診時、原告を診察した榊原医師は、当時原告が幼少(八歳四月)でもあったので、同病院において矯正装具を作成したうえ、同年一〇月からこれを原告に装着させ、経過観察と保存的治療を継続した。

しかし、昭和五七年九月二七日の右装具装着時のX線撮影では、側彎角六八度と認められ、さらに、昭和五九年六月一八日のX線撮影では、右症状が、側彎角九五度及び後彎角八五度と悪化していることが認められた。

このため、名大病院の医師は、早期に手術が必要との見解を持ち、原告は、手術療法を予定して、同年九月二一日、同病院整形外科に入院した。

(二) 入院後の経緯

名大病院整形外科では、昭和五九年一〇月二〇日、手術に先立ち、原告にハロー骨盤牽引を装着させた。同方法は、頭蓋骨と骨盤を四本の金属ネジ棒で体外より固定し、ネジを上下に移動させることにより、脊柱を伸張させ、彎曲に緩徐な矯正力を働かせるものである。

その後、同年一一月一五日、原告の手術について、後方より奇形椎を切除し、圧縮金属装置により矯正を加える術式を採ることが決定された。

3  (手術の実施とその内容)

(一) 手術の実施

原告は、昭和五九年一一月二〇日午前一〇時一五分から同日午後四時四三分まで、榊原医師の執刀、笠井勉医師、河村守雄医師及び坂賢二医師の助手により脊柱変形矯正手術(以下「本件手術」という。)を受けた。

(二) 手術の内容

榊原医師は、まず、奇形椎を中心に背面上下に皮膚切開を加え、傍脊柱筋を剥離し椎弓部を露出させ、左側より奇形椎の椎弓及び椎体を完全に切除した。そして、左凸側において第八・九胸椎椎弓外側部にハリントンコンプレッションフック金属矯正器具(以下「ハリントン金属矯正器具」という。)の上位フックをかけ、第一一・一二胸椎椎弓部に下位フックをかけたうえで、圧縮矯正を施した。

次に左腸骨から移植骨を採取し、両側椎間関節部に骨移植した。さらに、彎曲の右凹側部において、第七胸椎から第一骨椎までルーキーロッド金属固定器具による脊椎固定の補強を行い、手術創を縫合閉鎖した。

手術直後のX線撮影では、彎曲は側彎角五六度及び後彎角五一度に矯正された。

4  (麻痺の発生と再手術)

(一) 麻痺の発生

榊原医師らは、本件手術直後から原告の両下肢の自動運動がほとんどないことに気付き、昭和五九年一一月二〇日午後七時、神経学的検索を行った。それによると、原告の両下肢は、右足趾を残し自動運動は消滅し、左足趾には不随意運動がみられた。また、知覚は、乳頭線よりやや下位以下に鈍麻が認められ、下肢腱反射は膝蓋腱反射、アキレス腱反射ともに低下を示し、バビンスキー、チャドック等の病的反射が陽性であった。

右の検索結果から、本件手術を機縁として原告に脊髄障害が生じたことが明らかとなった。

翌朝の神経学的検索においても、原告の下半身麻痺症状に変化がみられなかったため、同月二一日、榊原医師は、脊髄造影検査を実施し、右検査後、再手術を行うことが決定された。

(二) 再手術の実施

榊原医師及び井上喜久男医師は、同月二一日午後五時から同日午後六時五〇分まで、ハリントン金属矯正器具を抜去する再手術を実施した。

再手術では、左側椎弓部から右器具を抜去し、一方の金属器具であるルーキーロッドは抜去せずそのまま留置した。

しかし、右再手術によっても、原告の下半身麻痺は回復しなかった。

5  (原告の被害)

(一) 再手術後の経緯

再手術後、原告は、高気圧酸素治療を受け、併せて四肢機能訓練のリハビリテーションを受けたが、機能は回復せず、昭和六〇年八月三一日名古屋市により、身体障害者福祉法の身体障害者等級表二級(以下「身体障害者二級」という。)の認定を受けた。

(二) 原告の障害の現状

原告は、本件手術前は側彎症であったが格別具体的な機能上の障害はなかった。しかし、本件手術後は両下肢ともに股下から全く知覚がなく、右下肢は特に不自由で装具を着用し、かつ常時松葉杖を利用しなければ歩行不能である。そして、この状態で歩行してもせいぜい一〇〇メートル程度が継続歩行可能距離である。

さらに、日常生活においては、①下肢に知覚がないため、傷ついても全く自覚症状がなく重大な結果に発展するおそれがあり、また、常時失禁症状がある(このため、紙おむつの常時装着が不可欠である)、②正座が不能である、③自転車の運転が不能である、④つかまり立ちしかできない、⑤トイレでのしゃがみこみができない、⑥独力での入浴ができない、⑦ふとんに独力で寝起きができない、⑧自動車の乗降が極めて困難である等の重大な支障が生じている。

しかも、右のような原告の障害は、改善の見込みがほとんどないと言われている。

6  (担当医の注義務違反)

(一) 説明義務違反

(1) 榊原医師には、原告の母に対し、手術を承諾するかどうかの判断に必要な事項の説明をすべき義務があった。

(2) しかし、榊原医師は、手術の結果を懸念し早期手術を渋っていた原告の母國枝に対し、「多くの手術例があるが心配はない。大丈夫だ。麻痺を予防するための手術で麻痺するわけがないだろう。」と言ったにすぎなかった。

(二) 矯正角度の過大性

(1) 原告の脊柱彎曲は非常に硬く、またその脊柱は先天性の発育不全であるうえ、その彎曲は極度に強く、かつ著しく進行性であった。脊柱彎曲が硬いのは、脊椎骨の奇形が著しく、かつ脊椎骨間の緩衝材ともいうべき椎間板が薄いことに起因する。この結果、原告の脊柱の可撓性はほとんど失われていた。

原告の右のような脊椎骨、椎間板の状況によれば、彎曲を一挙に矯正すれば脊椎骨ないし椎間板の極度の負担がかかることになり、これにより脊椎骨ないし椎間板の変形を来して脊髄ないし神経根または神経を圧迫することが十分予想された。また、原告のように脊柱彎曲が強く、しかもこれが先天性の場合には、脊髄も彎曲に合わせた形で一方は正常な場合よりも伸長しており、他方は短縮している。したがって、これを一挙に矯正しようとすれば、伸長側には圧迫力が、短縮側には引っ張り力が加わることになり、この圧迫力と引っ張り力が神経の強度の限界を越えた場合、潰れ、あるいはひきちぎれるという形の損傷となって現れるおそれがあった。

本件手術前、榊原医師らは、これらの原告の脊椎骨ないし脊柱の特異な状態を十分認識していた。

(2) 脊髄の主幹神経は脊椎骨の内腔を走行し、ここから微細な神経が脊柱骨の間隙を通って身体各部に枝別れしている。これら脊髄から出る神経は身体各部の重要な機能を支配するものである。

(3) このような原告の脊椎骨ないし脊柱の特殊性及び脊髄神経の重要性からすれば、担当医としては手術により脊柱の彎曲を矯正する際、脊髄及びこれから派生する神経を損傷することのないよう最大限に細心の注意を払わなければならなかった。したがって、伸展矯正によるか圧縮矯正によるかという術式の選択のみならず、矯正角度の決定に際しても、一回の手術によって一挙に矯正するのではなく、数回に分けて段階的に矯正する方法を選択すべきであった。

その具体的方法としては、担当医は、意識下において安全を確認しつつハロー骨盤牽引等により彎曲を矯正し、そこで安全が確認された範囲内において、麻酔下に本格的な矯正手術を行うべきであった。脊椎の矯正よりも脊髄機能保持を優先すべきだからである。

(4) しかるに、榊原医師は、一回の手術(本件手術)によって一挙に彎曲を矯正した。

(三) 手技の誤り

担当医は、手術に用いた固定用金具が原告の脊髄神経を圧迫しないように設置する等手術中の手技により脊髄ないし脊髄神経を損傷することがないようにすべき義務があったのに、この義務を怠った。

(四) モニタリングの不実施

(1) 脊柱変形に対する矯正固定術は脊髄麻痺という重篤な合併症を生じやすく、とくに原告の場合には、側彎角九五度及び後彎角八五度と彎曲が極めて進行していたうえ、手術前の脊髄造影所見によれば、頂椎部での明らかな脊柱管狭窄があること、脊柱の先天性発育不全があること等麻痺を生じやすい事情があり、担当医はこれを認識していた。

(2) 右のとおり、本件手術に際しては、脊髄損傷を生じる危険性が高かったのであるから、急激過度な矯正を行ってはならないとともに、術中の脊髄機能モニタリング法によるテストを実施すべき義務があった。右モニタリング法には、術中に患者に下肢の運動を命じ脊髄機能の状態を知るウェイクアップテスト法と、誘発電位を指標として脊髄機能をモニターする電気生理学的方法があった。

(3) しかし、榊原医師は、右のいずれのモニタリングも実施しなかった。

(4) ウェイクアップテストは、脊髄損傷の発生について予防的ではないにせよ早期発見、早期治療に極めて有効であり、しかも、患者に格別負担になることもなく、右テスト用の麻酔は麻酔の専門医であれば薬さえあればできるのであるから、本件手術当時名大病院においても容易にできたことは明白である。

7  (因果関係)

(一) 担当医の前記6・(二)及び(三)の注意義務違反により、原告に脊髄損傷を生じさせ、原告を下半身麻痺に陥らせた。

(二) 榊原医師が本件手術中あるいは手術終了直後に手術室においてウェイクアップテストを直ちに実施していれば、原告の下半身麻痺を直ちに発見でき、これにより、即時に矯正用金具等を解除すれば、右麻痺を早期に回復させることができた。ところが、榊原医師は右テストを実施せず、そのため、麻痺の発生を見過ごし、結果として矯正用金具等の解除措置を二四時間以上遷延させたことにより、原告をして、回復不能の下半身麻痺に陥らせた。

8  (被告の責任)

前記6の行為はいずれも、前記診療契約に基づき、被告の履行補助者である榊原医師が被告の債務の履行としてなしたものであるから、被告は、右債務不履行によって原告が被った損害を賠償する責任がある。

9  (原告の損害)

(一) 逸失利益

原告の後遺症は自賠責後遺障害等級表第一級の九に相当し、原告は労働能力を一〇〇パーセント喪失しているので、原告が一八歳から就労を開始し六七歳まで就労したとして、昭和六一年度賃金センサスによる女子労働者の給与(年額一七一万六〇〇〇円)に四九年分の新ホフマン係数を乗ずると、三二九二万四五四四円となる。

(二) 付添看護費用

原告は、単独で社会生活を送ることは困難であり、常時付添を要する。現在付添をしている母國枝は昭和一二年九月一一日生れであるから同人が高齢となった後は職業付添人に頼らざるを得ない。

したがって、國枝の付添看護料は、平成元年から平成一六年まで一日四五〇〇円として一五年分の新ホフマン係数を乗ずると、一八〇三万六二九二円となり、職業付添人の看護料は、平成一六年から平成六〇年まで一日一万円として四四年分の新ホフマン係数を乗ずると、五九七五万〇五〇〇円となる。

(三) 慰謝料

原告の完全回復は不可能であり、前記5・(二)のような障害が一生継続せざるを得ない。

また、原告の母國枝(夫とは離婚)も、原告に常時付き添うため仕事にも出られず、娘の将来を案じて、暗澹たる思いの日々である。右事情は原告本人の慰謝料において加味されるべきである。

したがって、原告の後遺症の慰謝料としては、二五〇〇万円が相当である。

(四) 弁護士費用 一一七九万円

(五) 合計 一億四七五〇万一三三六円

10  よって、原告は被告に対し、診療契約の債務不履行に基づき、損害賠償金一億四七五〇万一三三六円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六三年一〇月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(当事者及び診療契約の締結)の事実は認める。

2  同2(一)(名大病院入院までの経緯)、(二)(入院後の経緯)の事実は認める。

3  同3(一)(手術の実施)、(二)(手術の内容)の事実は認める。

4  同4(一)(麻痺の発生)、(二)(再手術の実施)の事実は認める。

5(一)  同5(一)(再手術後の経緯)の事実のうち原告が再手術後、機能回復訓練を受けたこと及び身体障害者二級の認定を受けたことは認め、その余は否認する。

(二)  同5(二)(原告の障害の現状)の事実は、障害の部位や程度等を争う。

6  同6(一)ないし(四)(担当医の注意義務違反)の主張はいずれも争う。

7  同7(因果関係)の主張は争う。

8  同8(被告の責任)の主張は争う。

9  同9(原告の損害)の主張はいずれも争う。

三  被告の主張

1  説明義務違反について

榊原医師は、本件手術につき原告及び國枝に対し次のとおり説明した。

(一) 原告の脊柱彎曲が、奇形椎により側彎角九五度、後彎角八五度と高度の彎曲にまで進行しており、装具療法では、彎曲の進行防止や矯正を行うことは困難である。現在までの経過からして、今後彎曲はさらに増悪することが考えられ、彎曲の頂椎部で脊髄圧迫が生じた場合、自然発症的に脊髄麻痺を生ずることがしばしばである。

(二) ハロー骨盤牽引装置によっても矯正がなされず、脊柱側彎及び後彎が非常に硬い彎曲であるため、伸展矯正法で一期的に矯正操作を加える手術法では、脊髄に伸展負荷が加わり、脊髄障害を生ずる危険性もあるので、伸展矯正法は採用しない。

手術方式としては、安全策を選び、段階的手術として奇形椎を切除し、コンプレッションフックにより緩徐に圧縮矯正を加えて固定を行う方法を採用する。

(三) このような手術方式は、数多くなされているが、全身麻酔下での長時間を要する脊椎手術であり、大変な困難さが予想される。何事においてもそうであるが、安全性について一〇〇パーセント確実なものはありえず、時として、予測できないような偶発的事態を生ずるおそれもある。

しかし、私たち医師は手術を行う者として最善最良の方法を選び、手術に際してでき得るかぎりのことを行うつもりである。

2  矯正角度の過大性について

(一) 矯正角度の適正

本件手術前である昭和五九年六月一八日当時の原告の脊椎の状態は、側彎角九五度及び後彎角八五度であり、同年一一月二〇日の本件手術直後における脊椎は、側彎角五六度及び後彎角五一度であった。右の程度にとどまる彎曲の矯正は、医学的にも一般的に承認されているところであり、かつ、手術時に直視できた原告の脊椎の状態に照らしても、十分に安全と判断できたものである。しかも、原告にとった矯正方法は、伸展法ではなく圧縮法であるから、過度な矯正角度を選択したという非難は当たらない。

(二) 圧縮矯正による術式の選択

担当医らは、彎曲の硬さを考慮し、一期的手術は困難と考え、段階的手術方式を行った。

すなわち、当初、ハロー骨盤牽引を装着させ、脊柱を徐々に伸長させて彎曲に緩徐な矯正力を働かせた。これは、彎曲の上下では矯正に有効であったが、奇形椎を中心とした主彎曲ではほとんど矯正はなされなかった。そのため、ハロー骨盤牽引装着下に矯正の障害となっている奇形椎を切除し、椎弓にハリントン金属矯正器具を設置してこれをナットにより徐々に移動させ、彎曲の頂椎の上下二椎体において緩徐な圧縮矯正を行う術式を選択した。

原告の彎曲は、彎曲の形態面において、後彎を合併した側彎であるため、伸展矯正は脊髄障害を惹起するおそれがあると判断し、一期的に行うハリントン伸展矯正法は選択しなかった。

(三) 圧縮矯正による脊髄麻痺発生の可能性

胸椎部のヘミバーテブラ(半椎)あるいはクォーターバーテブラ(四分の一椎)で高度の側彎及び後彎を呈する場合、一般的手術方式として、奇形椎切除術が適応する。

右術式では、ヘミバーテブラあるいはクォーターバーテブラを切除した後、頭側及び尾側の椎弓の凸側にハリントン金属矯正器具をかけ、圧縮矯正が行われる。すなわち、彎曲の凹側を支点として、凸側に緩徐な圧縮矯正を加え、変形した側彎及び後彎をより正常に近い状態に近づけようとする方式である。

ヘミバーテブラあるいはクォーターバーテブラを切除し、凸側に圧縮矯正を加えても、彎曲の凹側には脊椎周囲の靱帯、傍脊柱筋、肋骨等の支持組織が残存しているため、凹側が伸長することはありえず、凸側が短縮するのみである。これについては、本件手術後のX線計測の比較においても明らかである。

そうすると、このような矯正により彎曲の凹側において脊髄に引っ張る力が加わることは、まずあり得ない。また、凸側においては、短縮により脊髄が緩むことはあり得るが、それによって脊髄麻痺が生ずるとは考えられない。

したがって、圧縮矯正によって脊髄麻痺が発生する可能性はない。

3  手技の誤りについて

(一) 脊髄損傷の可能性

本件手術中、手技の誤りにより脊髄に直接損傷が及んだ事実は考えられない。けだし、複数の脊椎班の専門医が手術を施行し、脊髄損傷については全員が認めておらず、さらに、手術には麻酔医及び複数の看護婦が立ち会っており、脊髄の損傷行為があった事実を示唆する麻酔記録・看護記録はない。

また、脊髄に直接損傷が及んだ場合、脊髄神経細胞は再生されないため、麻痺の回復は不可能に近い。ところが、原告の臨床経過によれば、本件手術直後高度不全麻痺であったものが、後に軽度不全麻痺に転じて回復しており、このことからも本件手術中に脊髄に直接損傷が及んだとは考えられない。

(二) 手術部位と麻痺の部位との不対応

原告の脊髄麻痺は、奇形椎の存在する第一〇胸椎部あるいは金属矯正装置を設置した部位で生じたものではなく、手術操作を全く加えておらず、金属矯正装置の最上端(第七胸椎部)よりもはるか上位の第五胸椎部より発生しており、麻痺の部位が対応していない。

また、ハリントン金属矯正器具抜去の再手術後も、ルーキーロッド、ルーキーワイヤーはそのまま留置されていたにもかかわらず原告の麻痺が現実に回復していることに照らすと、ルーキーロッドで固定したことと麻痺との因果関係も発見できない。

したがって、原告の麻痺の発生原因は不明であるが、矯正器具操作によって脊髄に損傷を及ぼしたことはあり得ない。

4  モニタリングの不実施について

(一) 昭和五九年当時の脊髄モニタリング

当時の一般的医学水準よりすれば、手術中における脊髄モニタリングは、一部の専門医療機関により行われていたものであり、全国的レベルにおいて確立されてはいなかった。また、昭和五九年の時点で、名大病院には脊髄モニタリングに必要な設備は設置されていなかった。

なお、平成二年四月に行われた日本脊柱側彎症研究会において、初めて脊柱変形疾患に対する脊髄モニタリングの応用がシンポジウムとして取り上げられた程度であった。

(二) ウェイクアップテスト不実施の理由

ウェイクアップテストは、手術中に麻酔を浅くし、患者に下肢の自動運動を命じ、その動きによって麻痺の有無を確認する方法であるが、手術を行うための麻酔法の選択については、一般的に長時間にわたる侵襲の大きい手術を行う場合、麻酔深度の調整及び麻酔の維持が安定しているGOE法が選択される。一方、NLA法は、麻酔深度を浅くし、時には半覚醒状態にさせうるいわば特殊な麻酔法であり、ウェイクアップテストを行う際に用いられる方法であるが、原告のような幼年者には必ずしも安全な麻酔法とは言いがたい面もある。

本件手術においてウェイクアップテストを行わなかったのは、手術法として脊髄に損傷を与えやすい伸展矯正法ではなく、前方で圧迫された脊髄を後方に逃すように脊髄の緊張を緩める圧縮矯正法を選択したこと、硬膜及び脊柱管内において脊髄の後方には、手術前のCTで明らかなようにかなりの余裕空間が存在していたこと、手術中において奇形椎の切除や金属矯正器具による操作が直視下で完全かつ確実に遂行できたことから同時点で脊髄麻痺を生ずるとは考えられなかったことによる。そして、長時間にわたる侵襲の大きい手術であることから、麻酔法としてはGOE法を選択した。

さらに、麻酔法をGOE法からNLA法に変更することは一〇分程度で可能であったが、麻酔医がウェイクアップテストに着手しても下肢の自動運動を出現させるまでには約三〇分を要し、その間手術創は開いたままの状態となり大量の出血も予想されること、手足の動きだけでなく体動も生ずるため、脊椎に装置中の金属矯正器具が動き脊髄を損傷する可能性もあることなどもウェイクアップテストを行わなかった理由である。

5  因果関係について

(一) ウェイクアップテストの有効性

ウェイクアップテストを実施しても、金属矯正器具を設置し矯正操作終了後にこのテストを行い、脊髄麻痺が発生したか否かを確認することになるから、麻痺の未然の予防にはつながらない。

また、本テストは手術中麻酔が半覚醒の状態で行うため、なによりも患者の十分な理解を得る必要がある。したがって、幼小児等に実施することは極めて困難である。原告の場合、客観的に見て性格は消極的であり、周囲の者と話をすることも少なく、理解力も同年齢の通常の子と比較して劣っているので、仮にウェイクアップテストを実施したとしても、半覚醒の状態で理解が得られたか否かは疑問である。

(二) 金属矯正器具抜去と回復との関係

脊柱変形矯正手術後に発症した脊髄麻痺に対する対応について、日本側彎症研究会が中心となり昭和五八年一月から昭和六〇年一二月までの三年間に全国の専門医療機関で行われた脊柱変形疾患に対する手術例の調査によれば、右三年間に全国五七施設で行われた脊柱変形疾患の総手術件数は六五五件であり、術中脊髄モニタリングとしてのウェイクアップテストは一五四例(23.5パーセント)で行われており、矯正に伴う神経学的合併症は二七例(4.1パーセント)に発生している。

神経学的合併症発生例のうち細かく分析された一六例について術後麻痺発症後の対応の方法と以後の回復の度合を比較してみると、金属矯正器具を抜去したものは四例であり、そのうち麻痺が改善したものが二例、不変が二例であった。また、経過観察をしたものが一〇例であり、その場合、完治が一例、改善が七例、不変が二例であった。さらに、金属矯正器具を抜去せず他の手術を追加した症例が二例あり、その場合、完治が一例、改善が一例であった。

右のとおり、昭和五九年当時の医療水準においては、矯正手術後に生じた麻痺に対し、経過観察を行っている所が多くを占めていたのであり、金属矯正器具を抜去した方が経過観察例に対し改善度に優るという結果はみられない。

したがって、早期に金属矯正器具を抜去したからといって、現在と異なる経過をたどったとはいえない。

6  被害の程度について

昭和五九年一一月二二日からの治療の結果、原告の本件手術後にみられた横断性高度脊髄麻痺(起立歩行が不能で、下半身機能が全廃に近い状態)は、急速な改善傾向を示し、現在は軽度不全麻痺(他人の介助を要さず、起立歩行が可能であり、多少の不自由さは存在するものの社会生活面において自立可能な状態)にまで回復している。

7  原告の責任について

名大病院では、昭和五七年九月二七日の原告の外来受診時において、次回三か月後の受診を申し渡していたにもかかわらず、その後の定期的な受診は全く守られておらず、次に原告が外来を受診したのは一年九か月後の昭和五九年六月一八日であった。その時点でのX線計測では、側彎角九五度、後彎角八五度と高度の後側彎を呈しており、昭和五七年九月二七日から昭和五九年六月一八日までの放置期間に側彎についてみると約三〇度増悪という急激な進行を呈していた。

仮に原告が昭和五七年九月二七日以降も定期的な受診をしていたとすれば、急激な彎曲の進行をより早期に発見できたわけであるし、進行のより初期の段階で、彎曲の進行に対する脊髄麻痺の危険の伴わない予防的脊柱固定手術を行うことができたはずである。

九〇度を超えるような強度彎曲に進行させ、それに伴う易損性の高い脊髄圧迫状態を作り出したのは、名大病院の指示に反して外来定期受診を怠った原告の責任によるものである。

第三  証拠<省略>

理由

一争いのない事実

請求原因1(当事者及び診療契約の締結)、2(一)(名大病院入院までの経緯)、2(二)(入院後の経緯)、3(一)(手術の実施)、3(二)(手術の内容)、4(一)(麻痺の発生)、4(二)(再手術の実施)の各事実及び5(一)の事実のうち原告の機能回復訓練、身体障害者二級の認定の事実は、当事者間に争いがない。

二右一の争いのない事実並びに<書証番号略>、証人石田國枝、同榊原健彦及び同見松健太郎の各証言、大谷鑑定の結果(証人大谷清の証言を含む。以下同じ。)を総合すると、次の各事実が認められる。

1  当事者

(一)  原告は、昭和四八年四月二〇日生れの女性(本件手術当時一一歳)であり、石田國枝は、原告の母であり、親権者である。

(二)  被告は、名大病院の設置者であり、榊原医師は、同病院整形外科に勤務していた医師である。

2  診療契約の締結

原告は昭和五九年九月二一日、名大病院整形外科に入院し、被告との間で、脊柱矯正についての診療を目的とする準委任契約を締結した。

3  初診時の状況と入院までの経緯

(一)  原告は、昭和四九年六月に中部労災病院で先天性脊柱側彎症と診断されたが、特段の治療も受けていなかったところ、成長期にさしかかり、成長とともに症状の悪化も懸念されたため、昭和五六年八月三一日、名大病院整形外科で診察を受けた(原告は当時八歳)。

初診時、原告を診察した榊原医師は、問診、触診等を行い、全脊柱に対しX線撮影を施行した。その結果、脊柱の形状は、第一〇胸椎を中心に高度の側彎及び後彎を呈し、第一〇胸椎にヘミバーテブラ(半椎)あるいはクォーターバーテブラ(四分の一椎)と称される高度の脊椎奇形を有することが明らかになり、その原因として胎生期の脊椎形成過程において片側椎体骨化核の欠損により脊椎奇形が生じたものと推定された。また、X線所見によると、脊柱彎曲は側彎角六二度及び後彎角四五度であり、これを放置した場合、更に高度の側彎及び後彎に進行する可能性が大きいと考えられた。

このため、当時原告が幼少でもあったので、同病院において脊柱変形の進行予防対策として矯正装具を作成したうえ、同年一〇月からこれを原告に装着させ、症状の悪化も懸念されたため、以後三、四か月に一度定期的な診察を受けるよう指導した。しかし、原告は、同年一二月二一日を最後に、定期的な診察を受けなかった。

(二)  原告の次の受診日である昭和五七年九月二七日の矯正装具装着時のX線撮影では、側彎角六八度と認められたため、診察した医師は、原告に対し、三か月後に再受診するように指示した。

しかし、原告は、その後再び長期間名大病院での診察を受けなかった。

(三)  約一年八か月後の昭和五九年六月一八日、原告は名大病院で診察を受けたが(原告は当時一一歳)、同日のX線撮影では、右症状が側彎角九五度及び後彎角八五度と急激に悪化していることが認められた。

このため、診察を行った同病院整形外科勤務で脊椎班の一員であった笠井医師及び井上医師は、原告の脊柱彎曲が余りに高度で進行も急激であるため、装具療法では彎曲の進行を防止することが困難であり、今後二次成長期を迎えさらに悪化が予想されたので、彎曲の進行防止及び矯正のためにはこれらを目的とした手術療法に頼らざるを得ないと判断し、原告及びその母國枝に手術の必要性を伝えた。

その結果、昭和五九年九月二一日、原告は、手術療法を予定して同病院整形外科に入院した。

4  入院後の経緯

(一)  名大病院入院後、原告の主治医には榊原医師がなったが、同医師は、先天性側彎症には脊髄奇形を合併する可能性があるため、入院後、原告について神経学的異常の有無を調べ、同年一〇月八日には、脊髄造影検査、CTによる検索を行った。

右神経学的検索において、膝蓋腱反射及びアキレス腱反射に低下が認められた以外、下肢筋力、知覚は正常であった。また、脊髄造影検査では、奇形椎部において脊髄は脊柱管の前方に偏位している所見が観察された。造影剤は、その上下においては十分に通過し、脊髄に圧迫は認められなかった。

(二)  名大病院整形外科では、脊椎手術が必要な症例については、脊椎班八名の医師による治療方法の検討を行った後、二〇名以上の医局員による症例研究会において、再度討議を行っていたが、原告の場合も同様の過程を経て治療方針を決定し、同年一〇月二〇日、まず手術に先立ち、原告にハロー骨盤牽引を装着させた。同方法は、頭蓋骨と骨盤を四本の金属ネジ棒で体外より固定し、ネジを上下に移動させることにより、脊柱を伸張させ、彎曲に緩徐な矯正力を働かせるものであり、重度の脊柱彎曲あるいは先天性側彎に対し幅広く用いられる矯正方法であった。

しかし、ハロー骨盤牽引によっても原告の彎曲はほとんど矯正されず、非常に硬い彎曲であっため、同年一一月一五日、再度整形外科症例検討会で検討がなされ、原告の手術について、後方より奇形椎を切除し圧縮金属装置により矯正を加える術式を採ることが決定された。

(三)  そこで、榊原医師は、原告及びその母國枝に対し、脊椎の彎曲を矯正するためには奇形椎の切除が必要であること、金属装置による脊柱内固定及び自家骨による骨移植術を併用しなければならないことを説明し、同人らから、同手術療法によることの承諾を得た。

5  手術の実施とその内容

(一)  原告は、昭和五九年一一月二〇日午前一〇時一五分から同日午後四時四三分まで、榊原医師の執刀、笠井医師、河村医師及び坂医師の助手により本件手術を受けた。

(二)  榊原医師は、全身麻酔下において、原告を腹臥位とし、まず、奇形椎を中心に第七胸椎棘突起から第一腰椎棘突起まで背面上下に皮膚切開を加え、椎弓骨膜下に傍脊柱筋を椎弓から剥離し、第七胸椎から第一腰椎まで椎弓部を露出させ、左側から奇形椎の椎弓及び椎体を完全に切除した。そして、左凸側において第八・九胸椎椎弓外側部にハリントン金属矯正器具の上位フックをかけ、第一一・一二胸椎椎弓部に下位フックをかけたうえで、上下フックにハリントンコンプレッション金属ネジ棒を通し、ナットを回すことにより上下フックを中央部に近づけ、圧縮矯正を施した。

次に、左腸骨から移植骨を採取し、両側椎間関節部に骨移植した。さらに、矯正位を保持する目的で、彎曲の右凹側部において、第七胸椎から第一腰椎まで彎曲に合わせて曲げたルーキーロッド金属固定器具による脊椎固定の補強を行い、手術創を縫合閉鎖した。

(三)  手術直後のX線撮影では、彎曲は側彎角五六度及び後彎角五一度に矯正されて強固な内固定が得られ、彎曲の矯正に対しては当初の手術目的は達せられた。

6  麻痺の発生と再手術

(一)  榊原医師らは、本件手術直後から原告の両下肢の自動運動がほとんどないことに気付いたが、全身麻酔の影響で原告の意識レベルが完全でなかったため、麻酔の覚醒を待ったうえで、同日午後七時、再度神経学的検索を行った。それによると、原告の両下肢は、右足趾を残し自動運動は消滅し、左足趾は不随意運動がみられた。また、知覚は、乳頭線よりやや下位以下に鈍麻が認められ、下肢腱反射は、膝蓋腱反射、アキレス腱反射ともに低下を示し、バビンスキー、チャドック等の病的反射が陽性であった。

右の検索結果からは、本件手術を機縁として何らかの原因により胸髄部に脊髄障害が生じたものと考えられた。

そこで、榊原医師は、國枝に対し、本件手術後のX線写真を見せたうえで、同手術により彎曲の矯正及び固定に関しては当初予定された手術の目的は達せられたこと、手術直後に両下肢の自動運動麻痺に気付いたが、完全麻痺ではなく高度の不全麻痺の状態であるため、とりあえず、ステロイド剤等の薬物治療により脊髄麻痺に対し経過観察を行うことなどを説明し、了承を得た。

(二)  しかし、翌朝の神経学的検索においても、原告の下半身麻痺症状に変化がみられなかったため、彎曲の矯正に伴う脊髄の形態の変化あるいは金属矯正器具と脊髄との位置関係をみるため、同月二一日、榊原医師は脊髄造影検査を施行した。その結果は、本件手術前に行った脊髄造形所見と同様であり、新たな所見はみられなかった。

(三)  先天性側彎症の手術後に発生する脊髄麻痺の原因としては、①手術中における脊髄の損傷、②金属矯正器具による脊髄圧迫、③矯正による脊髄の機能障害等が考えられるが、同病院整形外科では、今後の治療方針について検討し、一旦金属矯正金具を抜去し彎曲の矯正を緩める手術を行うことを決定し、その旨を國枝に説明してその承諾を得た。

(四)  榊原医師及び井上医師は、同年一一月二一日午後五時から同日午後六時五〇分まで、ハリントン金属矯正器具を抜去する再手術を実施した。

再手術では、左側椎弓から右器具を抜去したが、右凹側に固定したルーキーロッドは、奇形椎切除時に第九胸椎及び第一一胸椎間が矯正のため完全に切り離してあるので、上下脊柱の連続性保持のため、抜去せずそのまま留置した。

7  再手術後の原告の状況

(一)  再手術後の同年一一月二二日から、榊原医師は、脊髄障害に対し高気圧酸素治療を開始し、併せて四肢機能訓練のリハビリテーションを行った。

しかし、当初、原告には起立歩行が不可能で下半身機能が全廃に近い障害があったため、原告は、昭和六〇年八月三一日名古屋市により、身体障害者二級の認定を受けた。

(二)  その後も、原告は、名大病院においてリハビリテーションを受け(なお、入院中の昭和六一年一月一四日に、ルーキーロッド抜去手術を受けた。)、装具を付けて歩くこともできるようになったので、平成元年八月一一日に名大病院を退院し、以後は自宅で生活している。

(三)  平成三年六月現在の原告の下半身の知覚は、そけい部以下で触覚は両側とも鈍麻(右下肢は一〇分の八、左下肢は一〇分の六程度)、同じく痛覚は両側とも鈍麻(右下肢は一〇分の五、左下肢は一〇分の七程度)であり、運動能力は、右側の下肢筋力は特に下腿では弱く、左側の下肢筋力は良好である。このため、右下肢に短下肢装具を装着し、一本の松葉杖を使用することにより一〇〇メートル程度歩行することはでき、杖なしで約五分間立っていることも可能である。

原告に、尿意、便意はあるが、正常ではなく、排尿、排便には時間を要する。また、ときに失禁するため、現状では、日常おむつを使用せざるをえない。

なお、同年六月一〇日撮影のX線写真では、第七胸椎から第三腰椎で側彎角度は約六七度、後彎角度は約九八度であった。

以上の原告の身体障害の程度について、大谷鑑定は、自賠責後遺障害等級表の第二級に相当するとしている。

三担当医の注意義務違反について

1  説明義務違反について

(一)  医師は、患者に対し手術のような医療上の侵襲を加えるに際しては、患者又はその法定代理人の承諾を得る前提として、患者の現在の症状と今後の進行可能性、行おうとしている手術の内容及びこれに伴う危険性等について、当時の医療水準に照らし相当と認められる事項を患者又はその法定代理人に説明する義務がある。

もっとも、右の説明の程度、方法については、個々の患者の症状、行おうとする手術の内容・危険性、患者の知識・性格等に応じて考えられるべきである。

(二) 本件についてこれをみるに、<書証番号略>、証人石田國枝及び同榊原健彦の各証言によれば、本件手術前、榊原医師は原告の母國枝に対し、原告の彎曲が高度に進行しており装具療法では治療できない段階に来ていること、しかも、進行が早いため手術しないとさらに悪化が予想されること、手術方式としてはまず奇形椎を切除し、その後に金属矯正器具で圧縮矯正を加えて固定を行うこと、しかし、本件手術は全身麻痺で行う大きな手術でありアクシデントはつきものであることを説明したことが認められ、前記二・3、4で認定した原告の本件手術前の症状に照らすと、榊原医師の原告の母に対する説明が不十分であったとは認めることができない。

もっとも、証人石田國枝及び同榊原健彦の各証言によれば、榊原医師は原告の母國枝に対し、脊柱矯正手術に特有の麻痺の可能性については、具体的にその危険を指摘しなかったことが認められるが、大谷鑑定の結果によれば、原告に対する治療は手術的治療が絶対的適応(手術以外の治療は全く無効)であり、本件手術の手術法は最も有効的な方法であったこと、また、脊柱変形の中でも後側彎は極めて稀であり、その手術経験の文献的報告は現在でさえ見当たらず、このように稀な手術の麻痺発生危険度については全く不明であることが認められるから、その説明の仕方は難しく、いたずらに患者を不安に陥れることのないようにとの配慮の点も考慮すると、麻痺の可能性を特に取り上げて説明しなかったからといって、説明義務違反ということはできない。

2  矯正角度の過大性について

(一) 榊原医師が入院後の原告に行った治療の内容及び本件手術の内容は前記二・4、5で認定したとおりであり、ハロー骨盤牽引で伸展矯正を試みたものの効果がなかったことから、手術により奇形椎を切除し、金属矯正器具により圧縮矯正を行ったものである。大谷鑑定の結果によれば、右手術法自体は、最も適当な手術方法であったことが認められる。

そして、本件手術の結果は、手術直後において、前記のとおり側彎角度が九五度から五六度(矯正率四一パーセント)に、後彎角度が八五度から五一度(同四〇パーセント)にそれぞれ矯正された。

(二)  原告は右矯正角度の過大性を主張するところ、<書証番号略>及び証人榊原健彦の証言によれば、榊原医師は、一般的に、側彎症の金属矯正器具による角度の矯正率は五〇パーセント程度が見込まれると考えていたことが認められ、文献(<書証番号略>)にも同旨の記載がある。また、公表された論文(<書証番号略>)には、本件の矯正率を超える手術例も報告されている。これらによれば、原告に対する右矯正角度が過大であったとは認められない。

さらに、証人大谷清の証言によれば、手術中に適正矯正角度を何パーセントと判断することは不可能であることが認められるから、手術後の矯正角度をとらえて注意義務違反をいうことはできないとも考えられる。

したがって、いずれにせよ、矯正角度が過大であるとの注意義務違反がある旨の主張は認めることができない。

3  手技の誤りについて

(一) 前記二・6で認定した事実及び大谷鑑定の結果によれば、原告の下半身麻痺は本件手術中の何らかの操作に関係して生じたものであることは明らかである。そして、証人榊原健彦の証言及び大谷鑑定の結果によれば、手術後に発生している麻痺は側彎凹側に運動麻痺が多いこと及びハリントン金属矯正器具、ルーキーロッドによる直接の脊髄圧迫が脊髄造影にみられないことからして、半椎(側彎凸側にある)の切除に際しての操作及び右金属矯正器具の装着自体が麻痺の原因ではないことが認められる。

(二)  しかしながら、本件全証拠によるも、具体的に、右以外のいずれの操作により原告の麻痺が生ずるに至ったかを確定することはできない。

大谷鑑定の結果によれば、本件手術前の原告の脊髄は、重度の先天性後側彎であり、極めて易損性の高い状態であって、臨床的には脊髄麻痺がなくても極めて容易に脊髄麻痺が発生しうる状況にあったことが認められ、大谷鑑定は、下半身麻痺の原因として①脊髄前方に瘢痕性軟部組織のような骨性以外のものがあり、これにより脊髄が圧迫されている状態にあったところ、そこへ後彎矯正を加えたことで極めてわずかな物理的影響が脊髄に付加されたため、易損性の高い脊髄は容易に麻痺の状態になった、②ルーキーロッド設置中の微細な物理的影響により麻痺が生じた、と二つの可能性を指摘し、証人大谷清は、さらに、脊髄へいく血管系の障害で麻痺が起きた可能性も指摘する。

(三)  そして、<書証番号略>、証人榊原健彦の証言及び大谷鑑定の結果によれば、本件手術中に手技の誤り等により脊髄損傷を生じた事実は榊原医師のみでなく、他の立会医師らもこれを認めていないこと、原告の麻痺の程度が高度不全麻痺から後により軽度の不全麻痺に回復していることから、手術中に手技の誤りにより脊髄に直接損傷が及んだとは認め難いこと、原告の脊髄麻痺が金属矯正器具を設置した部位より高位(第五胸椎節)に及んでいることから、右器具設置の操作の誤りによる麻痺とは考えにくいことが認められる。

(四)  以上によれば、原告の脊髄は極めて易損性の高い状態にあり、正常脊髄では全く問題にならないような微細な物理的影響が原告の脊髄に強く反応し、麻痺が発生したものと考えられ、それ以外に、手術中の手技の誤りにより原告の脊髄に損傷を与えたと認めうる証拠は存しない。

したがって、手術中の手技についての注意義務違反も認めることができない。

4  モニタリングの不実施について

(一) <書証番号略>、証人榊原健彦及び同見松健太郎の各証言並びに大谷鑑定の結果を総合すれば、次の各事実が認められる。

(1)  昭和五九年一一月当時、専門大病院において脊椎変形に対する矯正手術を行う際、重篤合併症である脊髄麻痺の発生を予防するためになされる術中のモニタリング方法としては、脊髄誘発電位測定とウェイクアップテストがあった。このうち、脊髄誘発電位測定に関しては、測定方法、波型の評価等について昭和五九年一一月の時点では研究水準にとどまっており、一般的医療水準には達していなかった。また、右時点においては、名大病院に脊髄誘発電位測定の機械はまだ設置されておらず、他から借用して使うこともあったが、未熟な機械で正確にモニタリングができず、役に立たなかった。

(2)  ウェイクアップテストは、術中麻痺を浅くし(痛覚のみを抑えて麻痺を覚醒させる)、患者に下肢自動運動を命令し、それを確認する方法である。したがって、麻酔医の協力及び患者の理解が必要であるが、麻酔の専門医であれば容易に行うことができ、患者に対してもあらかじめ「手術中に麻酔をさまさせて足を動かしてくださいということを言うから、このときにちゃんと足を動かしてくださいよ。」と言っておけば十分であり、患者の負担になることはなかった。

そのため、昭和五九年一一月の時点では、既に、専門医療機関では広く採用されていた。もちろん、名大病院においても、その実施が可能であった。

(3)  ウェイクアップテストは、脊髄麻痺発生の予防策ではないが、脊髄麻痺発生の早期発見策として有用であり、このため、右テストは、脊髄に直接的手術侵襲を加える手術には適さないが、脊髄に間接的影響が加わるような手術、たとえば脊柱変形を器具を用いて矯正する手術に適応があるものである。

(4)  そして、手術中に何らかの原因で麻痺が発生した場合、これを早期に発見することができれば、設置した矯正器具をとりはずす等彎曲矯正を緩める措置をとることができ、しかも、矯正によって生じた麻痺は矯正を戻すことによって回復可能なものである。また、矯正器具の除去は早期ほど望ましい。

(二) 大谷鑑定の結果によれば、脊椎・脊髄手術で最も頻発する重篤合併症は脊髄麻痺の発生であること、特に本件手術は、先天性後側彎症という稀な疾患に対する手術であり、しかも適応された手術方法は最も有効的な手術方法であるだけに危険性の高い手術であって、その手術に際しては、脊髄麻痺の発生する高度の危険が伴うものであったことが認められる。また、前記3で認定したとおり、原告の脊髄は極めて易損性の高い状態にあり、臨床的には脊髄麻痺がなくとも極めて容易に脊髄麻痺が発生しうる状況にあったものである。

したがって、手術中に脊髄麻痺発生の事実を知ることの困難性、脊髄麻痺が発生した場合の結果の重大性に鑑み、右(一)で認定したウェイクアップテストの有用性に照らすと、原告に対する本件手術において、担当医にはウェイクアップテストを実施すべき義務があったというべきである。

(三) 本件手術に際し榊原医師らがウェイクアップテストを実施しなかったことは、当事者間に争いがない。

被告は、ウェイクアップテストを実施しなかった理由について、手術方式として脊髄に損傷を与えやすい伸展矯正法ではなく、脊髄の緊張を緩める圧縮矯正法を選択したこと、硬膜及び脊柱管内において脊髄の後方に余裕空間が存在していたこと、手術が直視下で完全かつ確実に遂行できたと考えられたこと、手術後に同テストの実施を決めると手術創が三〇分以上も開いたままの状態となること等を主張するが、右は主として本件手術中にウェイクアップテストの実施を新たに決めなかった理由をいうものであり、本件手術前にウェイクアップテストの実施を決めなかった点については、何ら合理的理由は見当たらない。

したがって、榊原医師には、ウェイクアップテストを実施しなかった点において注意義務違反があったといわざるをえない。

四因果関係について

榊原医師が、金属矯正器具が脊髄を圧迫しているとの所見が得られなかった後も再手術においてハリントン金属矯正器具を抜去したことに照らすと、本件手術直後に麻痺の発生を発見していれば、当然、右器具の抜去を行ったものと推認される。

また、再手術でハリントン金属矯正器具を抜去した後に原告の麻痺の改善をみていること及び大谷鑑定の結果によれば、矯正器具の抜去等の脊髄麻痺に対する早期の処置により、麻痺は回復するか、少なくとも程度が軽くなるものと認められる。

したがって、ウェイクアップテストの不実施と原告の後遺障害との間には相当因果関係が存すると認めることができる。

五被告の責任

原告と被告との間の診療契約の締結は争いがなく、被告の履行補助者である榊原医師に前記三・4のとおり注意義務違反があり、右注意義務違反と原告の後遺障害との間に因果関係の存在が認められるのであるから、被告は、債務不履行責任として後記七の損害を賠償すべき責任を負うものである。

六原告の責任について

被告は、脊柱側彎症の症状を悪化させたのは、名大病院の指示に反して外来定期受診を怠った原告の責任によるものであると主張するところ、その事実関係は前記二・3に認定のとおりである。

しかし、被告には、右の症状に応じた適切な治療行為をなすべき義務があるのであり、本件の後遺障害の発生を原告の責任とすることはできない。

七原告の損害

1  逸失利益及び付添看護費用について

(一) 原告の現在の身体障害の状況は、前記二・7・(三)で認定したとおりである。

さらに、原告の症状の将来の改善可能性についてみるに、大谷鑑定の結果によれば、原告の脊髄不全麻痺は、原告が歩行する等して積極的に下肢を使用することによって筋力が回復していく可能性があること、もっとも、完全に回復することは不可能であり、今後とも日常生活に一本杖は必要であろうこと及び定期的に排尿を行うという排尿訓練を積極的に行うことにより、神経学的回復ではないとしても尿失禁も改善されていく可能性があるが、尿失禁が完全になくなることは無理であろうことが認められる。

(二)  ところで、原告は、本件手術当時一一歳(小学五年生)の少女であったが、先天性後側彎症であり、重度の脊柱変形となっていてしかも進行性であったところ、本件手術によりかなりの程度の矯正を得たものの、平成三年六月の時点(原告一八歳)では側彎角六七度、後彎角九八度にまで進行しており、仮に脊髄麻痺が存しなかったとしても、その生存中の稼働能力は平均女性に比べてかなり劣るものであると認められる。

さらに、前述のとおりウェイクアップテストは脊髄麻痺の予防策ではなくその早期発見策にすぎないのであるから、仮に本件手術においてウェイクアップテストを実施し早期に金属矯正器具を抜去するなどの回復措置を講じていたとしても、原告には麻痺の残った可能性も否定することができないのである。

(三)  右のように、原告には進行性の後側彎症があり、また、仮に担当医に前記義務違反が存しなかったとしても、その脊髄麻痺の存否及び程度については容易に測り難い面があって、将来の前記回復可能性の存在と共に、原告の稼働能力喪失の程度及び要看護性の程度についてはこれを推測することが極めて困難であるといわざるをえず、他にこれを確定しうるに足りる証拠も存しない。

したがって、本件においては、原告の請求する逸失利益及び付添看護費用の各損害はこれを具体的に算定し、認容することが困難なものであるから、これらは後記慰謝料認定の際の事情として考慮するにとどめるのが相当である。

2  慰謝料

すでに認定した原告の後遺障害の内容・程度、原告が名大病院を初めて受診してからの経緯、本件手術前の原告の脊髄の状態、原告に対する手術の内容とその後の経緯、担当医の過失の内容、前記1の原告の逸失利益及び付添看護費用算定不能の事情、原告の年齢、家庭状況等その他諸般の事情を考慮すると、原告の後遺症による慰謝料は一二〇〇万円と認めるのが相当である。

3  弁護士費用

本件事案の内容、訴訟の経過、認容額その他諸般の事情を考慮すると、本件債務不履行と相当因果関係のある弁護士費用の額は一五〇万円と認めるのが相当である。

八結論

以上の次第で、原告の本訴請求は一三五〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六三年一〇月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条を適用し、仮執行の宣言は相当でないから付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官窪田季夫 裁判官江口とし子 裁判官甲良充一郎)

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